小川島の鯨見張所は、中尾氏が捕鯨を行った江戸から明治の初めまでの間、捕鯨の最前線基地でした。
漁の開始(組出し)は10月下旬から11月初旬で、組出しに際しては組主の館(中尾邸)で出漁祝いの宴会が催され、その勢いで前線基地の小川島に渡ったとのことです。普段は100戸くらいの島に、捕鯨のシーズンとなる冬には1000人もの鯨漁や鯨捌きの人間が集まったとされています。小川島に渡ると鯨見張所よりの合図を待ち沖合いに出漁していました。漁の終り(組上げ)は翌年3月頃で、捕獲した鯨はすべて島内で解剖され、一部は唐津藩に献上、あとは唐津、伊万里、長崎、博多、豊前、長門、肥後、大阪等へ、鯨骨は薩摩、油は大阪へも運ばれました。
小川島の鯨見張所は、昭和49年に佐賀県重要有形民俗文化財に指定されています。
また、小川島の捕鯨については、呼子町で捕鯨の研究を行っている呼子鯨組のホームページが参考になります。