小川島を中心とする捕鯨は「西海捕鯨」といわれており、三陸、紀州、土佐とともに日本の4大捕鯨の一つに数えられています。西海捕鯨は、17世紀初頭に当時紀州で捕鯨の突取法で大きな成果をあげていたことから、肥前大村藩の深澤儀太夫勝清とその子勝幸が自ら紀州まで赴き、その方法を見聞し西海に伝えたことが始まりといわれています。小川島には、深澤家の墓碑があります。西海捕鯨は、その後呼子の中尾甚六、生島仁左衛門、中川與四兵衛、唐津の常安九右衛門、壱岐の土肥、平戸の益富等多くの組が作られ一大産業を形成していました。
小川島にある鯨鯢供養塔は、呼子町内にある4つの鯨鯢供養塔のうちのひとつで、1863年(文久3年)に鯨の胎児を供養するために建立されました。県の重要文化財。小川島の捕鯨については、呼子町で捕鯨の研究をしている呼子鯨組のホームページが参考になります。